子供達には、自分を愛してくれている身近な人を大切にする気持ちを持ってほしい

  • LINEで送る
ある投稿をきっかけに、祖母のことを思いだした。
 
自分にとっての祖母は、「すごく大好きで、同時に、何か鬱陶しい存在」であったように思う。
 
私のことはものすごく可愛がってくれた。私の妹が、お兄ちゃんばっかり可愛がってもらってたと未だに言うことがある。自分ではそれほど私ばかりってことは思っていなかったし、私の何をそんなに可愛がってもらったのかわからないけど、一緒に出かけた記憶とか、小さい時のものだけど、色々と覚えている。
 

祖父は私の父が12歳の時に亡くなっているので、それが昭和24年のことだろう。祖父は警察官で、戦争には行かなかったと聞く。京都は、爆撃もなく、家も焼けず家族全員命を失わなかったようだが、戦後の混乱はどこも一緒であり、高校生から小学高低学年まで、5人の子供を抱えて、当時のことを考えてたら本当に大変だったのだと思う。
 
祖父が体調を崩したことをきっかけに、祖母は天理教に入信したと聞く。祖母は祖父の体調がどんどん悪くなることに対する救いをそこに求めたのだろうと思う。私も子供の頃から天理教の教会に行ったり、奈良県天理市にある本部にお参りに行っていた。祖母が亡くなってから、両親が信仰をやめたので、その後私も行かなくなった。
 
DSC_0922
 
今でも、ちょくちょく祖母は夢に出てくる。
 
何故か、ちょっと角を曲がると、私の実家があって、そこに祖母がいるのがわかっているというそんな夢。祖母は家の中にいて、あれこんなに近かったのかなんて思いつつ、なんとなくおかしいなって思っていて、何故か会うことはない。おかしいなと思いながら、祖母がいることには疑問を感じず、そこにいるなと思っている、不思議な夢の中の感覚。
 
祖母は晩年、痴呆になって長く病院に入っていた。最初の頃は、お見舞いに行っていたが、途中からは、「もう言ってもわからないし行かない方が良い」と両親から言われ会いに行かなかった。次に会ったのは、葬式の時だ。親父のこともだんだん分からなくなっていて、会いに行くと、今日は何十人も人が会いに来たと言っていたと、笑いを交えながら話していた覚えがある。
 
今から思うと、私のことが分からなくても、どんなに見苦しくても、もっと会いに行けばよかったのにと思う。今なら会いに行くが、当時は何かそこから逃げていたのだろう。今でもなんとなく後ろめたい感じ。会いたい気持ちやそういった後ろめたさが混ぜ合わされて、そんな夢になって出てくるのかなとも思う。
 
中学から高校の頃、祖母が私のことを可愛がっていてくれたのも分かっていたが、それが逆に、なんとなく鬱陶しい部分もあって、それぐらいの年代だとそう感じるのも仕方ないのだろうと思いつつ、今から思うとやっぱり寂しい。もっと優しくできたのにと強く思う。
 
長男が生まれた時は、まだ家に帰ってくることもできて、長男は、おばあちゃんに抱いてもらっている。長女の時はもうダメだったと思う。でも、それができただけでも、よかったのかもしれない。その時、すでに、本人はあまりわかってなかったかもしれないし、単なる自己満足かもしれないけど、祖母は嬉しそうにしていたような気がする。
 
小学校から中学、高校の頃は、祖母が死ぬ、いなくなるってことは考えてもみなかったのではないかと思う。まだ私は両親とも健在だが、両親だっていつ亡くなってもおかしくない、そういう歳になっている。
 
IMG_2014
 
子供達に伝えていきたいと思う。
 
お前たちのおじいちゃん、おばあちゃんは、お前のことが本当に大好きなんだけど、後何年いられるか誰にも分からないんだよと。目の前にいるお母さんだって、いつ死んでしまうかなんてわからないから、そして、人は必ずいつか死んでしまうのだと。
 

本当に今を大切にしないとダメなんだよって。自分のことを愛してくれる人がいることを大事にしないと、いつまでもいるわけではないから、そういう気持ちを抱いて欲しいなって思う。

 
最近私が大好きな絵本作家のぶみさん。昨年から「ママがおばけになっちゃった!」が大ヒットして色々なメデイアで取り上げられているが、幼稚園の息子を置いてお母さんが亡くなる話だ。ママと息子のかんたろうの会話に笑い、涙する。
 
絵本としては異色の母親が亡くなるという内容を非難する人もいるらしいが、大切な人がいなくなったらどうするかを考えれば考えるほど、今目の前にいる大切な人に沢山の愛と感謝を与えたいと、そう思えるのではないだろうか。
 
51Cw9Pw1X9L
 
人は、本当にいつ死ぬかわからない。
私も明日死ぬかもしれない。
大切な人もいつまでも生きられる保証があるわけではない。
ただ、なんとなく、まだまだ生きているって勝手に思っているだけで、それが違うって気づくのは失った時だ。
 
最近読んだ小説に、「君の膵臓を食べたい」って本がある。
ここにも、そういう命のことが書いてある。
 
ブログの記事にも書いているので、ぜひ読んでほしい。
人の命の大切さを感じられるとても素晴らしい本であった。
 
自分の大切な人たちに優しくできる時間は限られている。つまらないことで人を非難したり、毒となる情報にまみれることなく、限られた時間を大切に使っていきたいと思う。

  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメント

  1. 匿名 より:

    ふとしたきっかけから、自分の子供の頃の母親や祖母の事、当時は気付かなかったが愛されていたであろう気持ち、愛情についての感情が奥の方の引き出しから出て涙しました。

    ネットで、「自分を愛してくれる人 自分が愛している人 母親 祖母」のキーワードからここへたどり着き共感する部分があり感動しました。

    1. kennishi1220 より:

      ブログ読んでいただきありがとうございます。
      コメントありがとうございました。

kennishi1220 へ返信する コメントをキャンセル

*