自分が離婚を経験してみて思うこと

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離婚を経験して思うのは、離婚というのは多くの人を悲しませるということだ。
 
私か離婚した時も多くの人を悲しませたと思う。子供達や両親、今のパートナーも悲しませた。前妻も悲しませたし、その両親や兄弟、友人、親戚、数え上げればきりはない。それから、自分も悲しませることになる。
 
子供達を悲しませたことはやはり辛かった。
 

離婚前に別居すると決め、それを告げた時、当時確か小学校5年生だった息子が見せた悲しそうな顔。その悲しそうな表情とそれでも子供心に我慢しないといけないと自分に言い聞かせているような表情、それは今も目に焼き付いていて、思い出すと胸が苦しくなる。
 
息子は私のことが大好きだったはずで、家にいるといつも一緒で、買い物に行く時も、どこに行く時も一緒で、当時はまだ一緒に風呂に入って一緒に寝ていた。それを告げられた時、どれだけ悲しい思いをさせたかと思うと、今でも胸が痛む。毎日のように息子の寝顔に向かって、ごめんなと心の中でつぶやいていたことを覚えている。
 
いつも会うと嬉しそうで、別れる時は悲しそうで、でもいつも何も言わず、行かないでと言いたいのを一生懸命我慢しているような表情を浮かべていた。それを分かっていても応えられない、自分自身が辛かった。
 
それから、娘がまだ小学校4年ぐらいだったかな、自分の望みとして伝えてきたことを鮮明に覚えている。
 
「お父さんが朝に行ってきますと家を出て、その夜にただいまと帰ってくること」
 
当時別居していたが、たまに夜子供達に会いに行って食事をして一緒に寝て翌日出ていくということをしていた。朝出かけた私は、その夜には帰ってこないわけで、無邪気な笑顔で、それが望みなのと言われて辛かった。その小さな望みを叶えてあげられなかったことが今でもなんとなく自分の心の中に小さなトゲとして残っているように思う。
 
今のパートナーにもたくさん悲しい思いをさせた。私より先に離婚した彼女は、不安で不安で仕方なかったと思う。たくさんの悲しい思いをしたと思う。本当に諦めずに私を信じてくれたことを感謝している。お互いたくさん苦しんだし、彼女も多くの人を悲しませて辛かったと思う。
 
前妻にも悲しい思いをさせたと思う。そこはあまり語りたくないが、お互い一度は好きになって一緒になろうと決めたからには、私が離婚をしたいと考えたことで彼女を大きく傷つけたであろうことは間違いない。
 
年老いた両親を悲しませたのも辛かった。
 
離婚なんてしたければすればいい。そんなのは当事者同士の問題だから好きなようにすればいいと思う。人を悲しませるから辞めなさいなんていうつもりは毛頭ない。結婚してようがなんだろうが、人を好きになることや、自分自身の幸せを求めることに、他人がとやかく言う道理などないと思うから。
 
私も離婚をして多くの人を悲しませたと思うけど、その経験があるから今の自分があるし、そんな今の自分だからこそできることも見せられるものも沢山あると思う。そういうことも全部知って、こんな私たちのことを自分の理想のカップルだと言ってくれるありがたい人がいることも事実だ。
 
「人を悲しませること=悪いこと」とみると離婚を悪と見る人がいてもそれは仕方ないと思う。そういう善し悪しで物を見る人がいるのも分かっている。
 
誰でも、どれだけ真っ当に生きていると自分が思っていても、生きていたら誰かを悲しませることはあると思う。だから、悲しい出来事を引き起こした人を非難するのはやめたいなと、自分がそういう多くの人を悲しませる出来事を引き起こしたからこそそう感じることができた。それが自分が離婚を経験したことの意味の一つかもしれないなと思う。
 
人を悲しませることを後悔しても恐れても生きていけないから、過去に悲しませた人、きっとこれから悲しませてしまうかもしれない人の何倍、何十倍、何百倍、何千倍もの人を幸せにできるようなそんな自分でありたいなと思う。
 
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