25年間企業で働いた今になって就職について思うこと

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最近の就職活動では、ブラック企業かどうかということが気になるらしい。
 
自分が就職した時は、一流企業で給料の高いところを選ぶぐらいの感覚しかなかったように思う。四半世紀前のことですが。
 
一応理系だったので大学院も少し考えたが、二浪していたこともあり、親にこれ以上負担かけられないだろうとの思いから就職することにした。それだけ聞くと美談のようだけど、まあ、実のところは、勉強が嫌いだったのだろうと思う。卒業もギリギリだったし、出席もやばかったし、量子力学なんて難しすぎて、?????って感じだった。
 

当時はバブルの最後の頃で、就職は簡単だった。理系なので大手の製造メーカーに行くのが普通で、それだったら就職活動なんて要らなかった。企業の方から大学に人を送ってくれと依頼があって、推薦状があれば、余程のことがない限り採用確定だった。
 
製造メーカー向けの就職活動といえば、工場や研究所の見学にいくつか行ったぐらい。そんな時に銀行が理系人材の採用を積極的にやっているということを聞き、葉書を出して、リクルーターに会いに行った。今風の就職活動なんてそれぐらいで、それも、行きたいと言ったらほぼ採用。リクルーターの人柄と銀行の給料の高さに惹かれて銀行を選んだ。
 
私が就職した当時の銀行なんて、残業は当たり前。上司には厳しく叱られ、休暇なんて簡単には取れない雰囲気だったし、熱を出して会社に行ったら褒められるような環境だった。今の基準でいうとブラックなのかもしれないが、幸いなことにそれほど苦ではなかった。
 
ブラックかどうかなんて、人それぞれに違うはずで、どんな会社でも合わなくて辞めて行く人、疲れ切ってしまい会社に行けなくなる人がいると思う。誰かがこの会社はブラックというからだめだなんて、そんな他人目線の価値基準で選ぶべきではないし、長時間労働だからブラックなんて判断はあまりに馬鹿げていると思う。
 
すでに就職してから25年が経とうとしているが、そんな自分が思うのは、その会社の理念とか、作っているものとか、この経営者の元で働きたいという想いとか、そういう基準で会社を選べば良かったなということだ。この会社で働きたいというそういう強い思いを就職の時に持っていれば、きっと活動のやり方も、結果としての選択も違ったのだろうと思う。
 
自分が何故その会社で働きたいのか、一番大切な要素が抜けていると思う。なぜその会社を選んだのかが重要なのにその観点が抜け落ちているように思う。
 
会社から選ばれることを目的に就職活動をするのではなく、自分が会社を選ぶことが就職活動の目的のはずであり、自分が行きたいと思っても選ばれないこともあるだろうし、実際はそのケースの方が多いかもしれないけど、少なくともその思いを持っておくことは必要なんじゃないかとそう思う。
 
私の子供達もきっと就職活動をすることになると思うけど、その時には、たくさんの情報を集めて、自分の価値観から本当に行きたいと思える会社を選んで欲しいと思う。
 
会社が大企業かどうかとか、そこに勤めていることでステータスを感じるとか、給料が高いとか、世間体が良いとか、そんな私がしたようなつまらない価値観に基づく判断ではなく、本当に自分の心が求める会社に出来れば就職して欲しいと思う。
 
そしたら、残業が多いとかなんてどうでもいいことだし、自分が自分の価値観で選べば、間違いも自分のこととして処理できるはず。だめならまた選べば良いし、それがまた素晴らしい経験となるだろうと思うし、求める会社がないなら自分で作れば良いとも思う。
 
そういうことを息子や娘に伝えていけるようにしたいなと思う。
 
 
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