純粋な気持ちになって人生を楽しむこと 〜 不安を煽るような情報なんてどうでも良いと思うこと

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世の中は人を不安にさせる情報に満ち溢れている。
 
稼げないんじゃないか、馬鹿にされるんじゃないか、失敗するんじゃないか、嫌われるんじゃないか、病気になるんじゃないか、戦争に連れて行かれるんじゃないか、そんな不安を煽ってくる。子供の教育や老後にいくら必要かなど、何が正解かわからないものに、こうあるべきという答えを当てはめようとする。誰からも好かれるためにどうしたらいいかとか、異性にもてるためにはこうすべきとか、これを食べると健康になるとか、こうすれば幸せになるとか、人が不安になることに当て込んだ適当な情報に惑わされている。
 
どんなに不安を払拭しようと頑張ったところで、失敗はするし、病気にはなるし、誰かには嫌われるし、センス悪いと言われるし、異性には振られるし、お金は使ったらなくなるし、いつまで生きられるのかもわからない。だったら、そんなことに気をとられるのではなく、もっと純粋な気持ちになって目の前の物事を楽しんだ方がいい。そうなれれば最高なのになと思う。
 

人生は長い長い旅だということを最近までの私はすっかり忘れていた。人生という旅を楽しむというよりも、安定を求め、安全を求めていた。人生なんて何が起こるかわからないことが楽しいのに、これから先に起こることに不安ばかりを抱いて、安定を安全ばかりを求めていたら楽しめるはずがない。
 
旅の醍醐味は、その時その時を楽しむことじゃないかと思う。その時をより楽しくするには、予測可能なことよりも予測不可能なことが起こる方がいいと思う。
 
添乗員付きのパックツアーと自由に好きなところに行ける旅とどちらが楽しそうかといったら、後者に決まっているし、どちらが不安かというとこれも後者に決まっている。不安すら楽しむぐらいの気持ちでなければ、本当に楽しい人生を送ることはできないのではないかと思う。
 
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人は必ず死ぬし、いつ死ぬかもわからない。その中で旅することが人生だと思う。そんな旅であれば、決められた道を行くよりも、その道の先に鬼がで出るか蛇が出るかばかりに気をとられるよりも、好きなように野山を駆け巡った方が楽しいに決まっている。見知らぬ所に行き、見知らぬ人と出会った方が楽しいに決まっている。
 
野山を自由に駆け巡ったら、危険な目に会うかもしれない。どこかに迷い込んで道がわからなくなってしまうかもしれないし、崖から落ちて死んでしまうかもしれないが、誰かが切り開いて舗装された道を誰かの後を追って歩いているよりもきっと楽しいに違いない。見知らぬ人に会ったら自分の身に危険が及びかもしれないが、毎日同じ人と会っているよりも楽しいにちがいない。
 
舗装された綺麗な道を歩いていても、暴走した車に跳ねられることもある。既知の人に危険な目に合わされる可能性もある。道を歩くこと人と会うことを避けて家にこもっていても、強盗が押し込んでくるかもしれないし、車が突っ込んでくるかもしれないし、隕石が落ちてくるかもしれないのだ。
 
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準惑星ケレスのクレーター。こんなのができる隕石が降ってこないとは限らない。

 
今からでも遅くはないと思うので、少し、道なき道に踏み出してみようかなと、そんなことを最近思うようになった。脇道に逸れてみるのも悪くないかなと思うようになってきた。人生は、壮大な実験場なのだろう。何もしなければ何も起こらないけど、何かすれば何か起こる。実験だから失敗もつきものだ。命取りになるような失敗もあるだろうけど、今の日本、どうなっても死ぬことはない。そんな安全性を確保された中なのだから、多少の冒険をしてみてもいいだろうとそんな風に思う。
 
人生をもっと楽しもう!
 
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これはあなたの人生だ。・・・いつも好きなことをしよう。・・・やりたくない仕事は辞めよう。・・・人生は短い・・・。

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コメント

  1. crystal geyser より:

    いつも拝読させていただいてます。
    次は、縦読みすると別のメッセージが書かれていることを期待してます!

    1. kennishi1220 より:

      いつも読んで頂きありがとうございます。

      >次は、縦読みすると別のメッセージが書かれていることを期待してます!

      えっ、そ、それは難しいですね(笑)
      でも、いつか、チャレンジしたいと思います。

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