先日娘と眼鏡を買いに行ったついでに、ランチを一緒に食べて色々話をした。
その中で、主に二つのことを話した。
一つは、色々と迷った時に何を基準に判断したらいいと思うかってこと。
もう一つは、この世の中で一番大切にしないといけない人は誰かってこと。
一つ目の問いに対しては、「好きなこと」とはっきりと答えた。まあ、普段から私がそう言っていることもあるのだが、我が娘なかなかやるなと思った。
二つ目については、彼女は結構悩んだ。学校の友達、母親、お兄ちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、いとこ、叔父、叔母、その他、まあ、一応私も入れておいて、それこそ沢山いるなかで、悩んだ結果、
「一番というのは決められない」
というのが、彼女の答えだった。
自分が好きなことをやる
誰もが自分のやりたいことをやるのが一番幸せに決まっている。決まっているのにやらないのはなぜか。私のように長年サラリーマンを続けてきて、今や何がやりたいことなのかさえもわからなくなったおっさんと違って、子供たち、私の子供たちだけでは無く、世の中の若い人たちはまだまだ希望があるのだから、自分のやりたいことをやって欲しいと思う。
それが難しいかとか、お金儲けになるかとか、気にはなると思うけど、それを判断基準にするのではなく、好きなことかどうかを判断基準にして欲しいと思う。
判断に迷った時
正しいかどうかでななく、好きな方
得することではなく、損する方
我慢することではなく、楽しい方
人が勧める方ではなく、否定された方それが良いと思う
— 西村健一 (@kennishi1220) February 18, 2016
坂爪圭吾さんが、ご自身のブログで、ある女性の話として書いていたことが衝撃的だった。
こちらの女性は、数年前まで「食い扶持がなくならないように」と介護の仕事をしていたのだけれど、のんびりとした自分の性格に合わず、現在は自分がやりたいことだけをやって暮らしているのだと言う。女性曰く 「仕事を辞めた後に、父親から『自分の好きなことをやりなさい。食えなくなったら水を飲みなさい。水も飲めなくなったら、死になさい』と言われて、その言葉を聞いた時にまるで稲妻が落ちたような衝撃を受けて、そして、父親の強い愛を感じたんです。この感覚を友達に話してもなかなか理解をしてもらえることはなくて、でも、坂爪さんならわかってくれるかなと思って」と話してくれた。
私は、これを読んだ時、激しい衝撃を受けた。
なんてひどいことを言う父親だと思う人もいるかもしれないが、それは大きな勘違いだと思う。父親として子供に死ねとそんなことを本気で思っているはずはない。それでも、娘に対してそこまでの許可を与えてなんでも好きなことをすればいいと言い切れるその父親の覚悟が素晴らしいと思った。それを聞いた彼女が父親の強い愛を感じたというのはその部分だと思う。
世間体を気にして、「我慢して働きなさい」とか、「なんでもいいから職に就きなさい」とか、「好きなことだけやって生きていける訳がないだろう」なんて、そんなことを言ってしまう親の方が普通なのではと思う。介護の仕事が性に合わず、苦しんだ結果退職したのであろうその時に、「なにをしているのだ負けずに頑張りなさい」ということが本当の愛だとは私には思わない。
坂爪さんは、
私は「父親!!ナイス!!」と思った。自分が父親になったら、多分、同じようなことをこども達に言うだろうなと思った。
と書いているが、本当にその通りだと思う。私も自分の娘に好きなことをやりなさいと言っている以上、彼女が好きなことをやってどうなろうが、それを受け止める覚悟を持つことが彼女への愛につながるのだろうとそう思った。
そこで、世間体を気にして、就職しなければとか、結婚しなければとか、そういうステレオタイプな常識を振りかざして子供に押し付けるような、そんな父親にはなりたくないとそう思う。
一番大切な人は誰なのか
自分が一番大切にしないといけない人は決まっている。それは自分自身だ。誰でもない、自分自身を誰よりも、世の中で一番大切に扱うことが必要だ。
自分自身を好きになれば、自分に必ず好きなものを与えてあげようと思うし、自分の心や身体を蝕むようなものを遠ざけようとする。自分が好きでいれば、自分の声を聞き、自分で選択し、自分で判断する、自分の軸で考えられる人になれる。そこが分かってないと、他人の意見に流されて、自分自身にとって必要な判断を間違ってしまうことになるのだと思う。
自分自身を大切にすることは人を大切にすることにつながる。自分を大切にできない人が他人を大切にできるはずがない。自分のことが嫌いで仕方なかったら、自分への優しさがなければ、他人への優しい気持ちなど湧いてくるはずがない。自分への優しさは、結局他人への優しさに繋がるのだと思う。
自分を大切にしたら悪い事もしなくなる。好きな友達が悪い事をしようとしたり、悪い仲間に引き込まれそうになったら止めるはずだ。それと同じで、自分の事が好きであれば、自分が自分を傷つけるような事は止めようとするはずだ。自分で判断をして失敗することもあるだろうけど、自分で判断していれば、それは全て経験となって成長につながる。
子供を心配して、あれをしてはダメだ、これをしてはダメだと禁止ばかりすることに意味はなく、子供を自分の監視下に置くようなことも意味はなく、そうではなく、子供に自分を好きになることを教えてあげれば、それができる環境を作ってあげれば、子供は自分で学んで育っていくのだと思う。
年頃の娘の父親として
父親としていくら心配しても、自分の娘が悪い事をしないように見張ることはできないし、娘が幸せになるためにできることなど限られている。そもそも、何が娘の幸せに繋がるのかということさえ私にはわからない。
だからこそ、この二つのことを知っていて欲しいなと思ったので、今日ランチをしながら娘と話ができて本当に良かったと思う。こんな面倒くさい話を、嫌な顔をせず聞いてくれた娘に感謝。もうそれだけでも十分ありがたい、幸せだと思った。
どうも勉強はそんなに好きじゃないようだけど、先日の娘の誕生日に、クラスメートからメッセージつきのお菓子をいっぱいもらっていた。クラスメートからも愛されているようなので、勉強できるよりも、その方が嬉しいなとそう思った。まあ、両方できてくれたら言うことはないが・・・(笑)
とはいえ、ダイエット中(?)の本人には毒のようで、なんとも複雑な感じでした。