熱海にある坂爪圭吾さんのご自宅にお邪魔した。
坂爪さんが企画した「わたり大学」に参加するためだ。
坂爪圭吾さんを知らない方はこちらを。
その家は、海が見える熱海の山の中にある静謐な空気に包まれたこじんまりとした古い家。
建物は古いが、玄関が広い。開放的で、都心にあるような効率性を重視した住居ではなく、言葉で表すのは難しいが、居心地というか、佇まいというか、そういうものを重視した庵と呼びたくなる家であった。家の中はとても綺麗で、トルコの照明などがさりげなく飾られており、それがまたその場の空気とマッチしていてとても素敵な空間が出来上がっていた。
玄関はとても広い、廊下があり、壁面はすべて窓になっている。トイレなどびっくりするほど開放的で前にも横にも窓があり、隣の家から見えるのではないかと心配なるほど開けっぴろげ。都会のように自分の住むところを閉鎖的にするのではなく、雨風をしのげるように囲いがしてあるが、あくまでも自然の中の一部であり、家の中も自然と繋がっているといった感じがした。
「わたり大学」というのは、坂爪さんの企画で、簡単に言ってしまうと、みんなで集まって自分の知っていることを共有しましょうという企画だ。こんなことを知ってもらいたいと思う人が講師になり、参加者にそれを伝える。そして参加者はそれを聞く、あるいは、体験する。
今回の授業は、
家庭科/ベンガル料理(講師:Chieko Yasudaさん)
動物/ペンギン(講師:Kiyomi Ogawaさん)
Chieko Yasudaさんは、ベンガル料理の講義だけではなく、実際に料理をその場で作ってくださり、参加者に振舞ってくださった。講義は面白く、料理は美味しくとても素晴らしかった。
Kiyomi Ogawaさんは、素敵な自作のペンギンの本を作ってこられ(しかも徹夜までして)、ペンギン愛に溢れた講義をしてくださった。優しい声で本当に楽しそうにペンギンの話をされるKiyomiさんの表情は喜びに満ちているように思えた。
わざわざ富山からお茶を入れに来てくれた女の子もいた。
体調も芳しくない中、お茶の葉と高級なハチミツまで携えて。
これはなんなのだろうと。
この素晴らしさは一体何なのだと。
当然なんの報酬もない。お金を貰うわけでもないし、誰も何も得するのではない。それでも、貴重な自分の時間とお金を使って、参加者に多くのこと多くのものを提供してくれる。とても素敵な空間と時間を与えてもらえる。参加者の中には、わざわざ大分や岐阜から来ていた人もいた。
なぜ坂爪さんの家に行きたくなるのだろう、坂爪さんに会いに行こうと思うのだろうと、自分のことを振り返ってみた。私には、坂爪さんに相談に乗って欲しいことがある訳ではない。坂爪さんにそれほど聞きたいことがある訳ではない。一つだけはっきりしているのは、私は坂爪さんのことが本当に大好きだということだ。彼の在り方に惚れていると言っていいと思う。そういう人と同じ空間、しかも、素晴らしい気に満ちた空間にいることで、自分自身の意識も純化されていく、そんなものを感じたくて熱海まで足を運んだのではないかと思う。
好きだから傍にいるだけで、何か満ち足りた気持ちになる。
参加している人も、そういう空気を味わいたくて来ているのではないだろうかと思った。あの場に来て、何かを得ようとか、そんなことを思っている人はいないと思う。だから参加者の方のそういう気持ちも合わさって、とても居心地のいい空間になっている。初対面の方々とも安心をして話ができる。きっと、自分が与えられることはあっても奪われることがない、人に自分の内面を見せても傷つけられることがない、そういう気が充満している空間なのではないかと思う。
帰るときには、またお邪魔させてくださいと礼を述べる気持ちになる。申し訳なかったのは、帰る時間の都合もあり、残った人たちに片付けを任せることになってしまったこと。だけど、そんなことを気にしているような人は誰もいないように思う。
坂爪さんの言葉が印象的だった。
「いつも誰かが片付けてくれるんですよね」
「食材はあるから、誰かこんなものを作ってくれたら嬉しいな」
「どこそこに行きたいから連れて行ってくれる人がいればいいな」
受け取ることになにも心のブロックがない。だからこそ、何も見返りを求めることなく、人に多くのものを与えることができるのだろうとそんなことを思った。だから、色々なものを出してきて、自由に持っていってくださいねって、心の底から本気でそう言っているのがわかる。
私も、Chiekoさんが持ってきてくださったスパイスをいただいた。わたり文庫の本も一冊拝借してきた。もう少し色々と頂いて帰ろうかなって思ったけど、私にはまだ受け取ることに対する心のブロックがあるようで、ちょっと遠慮してしまった。
ささやかながら、到着して一番に玄関のお財布へのお布施をした。寄付すると言うより、お布施の方が相応しい気がしたので、あえてその言葉を使わせてもらう。そんなことは全然関係ないのはわかっているが、心のどこかで、どこか奥底の方で、「だから貰ってもいいよね」って、受け取ることに対してそれを理由にしている自分がいるものわかる。まだまだブロックがあるなと感じた。
いずれにしろ、本当に素晴らしい空間を提供いただき感謝。
あの場でお話をさせていただいた皆様とのご縁も感謝。
また、お邪魔させてください。
拝借した「わたり文庫」の一冊は、かおりさんに勧めていただいた
エンリケ・バリオス著 「アミ 小さな宇宙人」
読んだら、自分の娘に渡そうと思います。
みなさま、またお会いしましょう!