自分の醜さを認め人と向き合う勇気を持てば、更なる勇気と自信を与えてもらえる

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先日、ある研修で知り合った大学生の友と食事をした。
私の息子と一つしか歳の違わず、自分にとっては息子みたいな可愛い存在だ。
 
その彼がFacebookに私と一緒に食事をしたことを投稿をしてくれている。
その内容に感動で涙が出た。
 

昨日、西村健一さんと会ってご飯を一緒に食べました。
 
この時間が僕にとっては本当に幸せで、一緒にいて泣きそうになってました。
僕には父親がいない。
 
いや、いるにはいるけど幼稚園のころに親が離婚してるから、父さんの記憶はほとんどない。
 
だから、父さんとご飯を一緒に食べるなんてある程度成長して一回あったくらいで。それも、父さんというか、もう他人のような感じで自分らしくいれなかったことを覚えてる。
 
母さんと父さんと姉ちゃんと僕でご飯を食べたとなんて一度もない。
いや、あるかもしれないけど、記憶にはないかな。
 
だから、20歳の大人になっても、ご飯を一緒に食べるってことに憧れがあった。
でも、その憧れが健さんと一緒にいることで、昨日叶った。
 
健さんは実の父さんではないけど、僕にとっては父親のような存在。一緒にいてすごい安心できて、自分らしくいれる。
 
でも、実はまだ数回しか会ったことはない。
 
それなのに、健さんは僕にいろいろなことを与えてくれる。
 
僕が困っているときは助けてくれるし、昨日みたいに時間を作って一緒にご飯も食べてくれる。
 
僕の夢も否定せず、応援してくれる。
 
僕が健さんに何かできるわけでもない。
健さんにとってメリットは何もないはず。
 
それでも、無条件で関心を示してくれる。
 
だから、幼稚園のころから父親がいなくて寂しかった僕の心が埋まっていく。
 
別に何もしなくてもいい、話さなくてもいい。
ただ、一緒にいるだけで安心する。
 
会うだけで、心が満たされて、未来に向かって頑張ろうと思える。
 
この健さん「在り方」から与えられることは本当に多い。
 
僕も不登校の子と関わる身
不登校の子も同じで、一緒にご飯を食べることのように何気ないことが原因で、寂しさを抱えていることが多い。
 
だからそんな子たちと接する上で大事なのは、カウンセリングの技術でも、話術でもない。
 
何を言うかでもない。
自分がどうあるか、つまり自分の在り方が重要だと思う。
 
目の前の子を問題視することなく、変えようとするわけでもなく、その子の存在を認めて、普通に接する。
 
ただそれだけでいいと思う。
 
どうしてもカウンセリングの技術とかを学んでいると、この在り方を忘れてしまう。
 
技術がいらないわけではないが、まずは在り方。
そこを忘れないようにする。
 
ありがたいことに、この在り方を示してくれる人が、健さんを含め僕の周りには多い
 
それは、そのような出会いを作ってくれた長倉さんと加藤さんのおかげであって、本当に感謝してる。
 
本当に本当にありがとうございます。
 
今から、東京で不登校の子と会う機会がある。
いろんな人に与えられたことを今度は僕が与えていきたい。
 
DSC_1314
 
本当に、涙が出るほど嬉しい話だ。
 
私の方こそ、彼から多くの勇気とパワーと自信を与えてもらった。
彼は、自身の経験をもとに、不登校の子どもたちと向き合っていくことをやろうと頑張っている。彼の話を聞いて本当に素晴らしい若者がいることに感動した。
 
〈彼がやっているブログ〉
 
私のやったことは、一緒にご飯を食べ、ただ彼の話を聞いて、素直に感心して、自分の思いを述べて、自分のことを話しして、結局は自分がとても楽しい時間を過ごしただけだ。
ただそれだけでこんなに喜んでもらえることができるなんて・・・
本当にありがたい。
 
こういうことも、以前の私だったらできていなかったと思う。こんな風に正直に人と向かい合い、正直な自分を晒すことはできなかったと思う。自分は人の目を気にし、カッコをつけて、つまらない権威、それもちっぽけな権威で自分を飾るようなそんな人間であったと思う。
 
加藤さん、長倉さんに多くのことを教えてもらい、色々な人と出会い、色々な価値観を知り、最近知り合った多くの人から自信を与えてもらい、人に自分を晒す勇気を身につけ、人と向かい合うこと、自分と向き合うことの楽しさを感じることがでできる人間になった。
 
まだまだではあるが、以前よりずっと正直に話ができる人間になれたと思う。それだけで、こんなに自分の心が楽になり、人生が楽しくなるなんて、思いもよらなかった。今までは、本当の自分を隠さなければならないって思っていたから、そのことが苦しかったのだろう。
 
人は人と向き合うことでしか自分が何者であるかわからないものだ。人と向き合うことは自分と向き合うことでもある。他人の中に見える自分、それがどんなに醜いものであっても、それと向かい合わなくては自分自身の弱さも自分自身の強みも何もわからない。
 
以前の私は自分に何か余計なものを纏い、その仮面越しに人と接していたと思う。自分に自信がなかったし、人からどう思われるかを気にしながら、それを気にしていないようなふりをしている、そんな人間だったように思う。人と向かい合うことでそういう自分の醜さをも知ることになるが、それを否定するのではなく、受け入れる勇気が必要だと教えてもらった。
 
その一方で、こうやって自分のことを評価してくれる人がいる。人と向き合わなければそういう人がいることすら気が付かない。自分の醜さを見ることを恐れて、人と向き合うこと、自分と向き合うことから逃げていれば、自分の強み、自分の真の能力、本当に自分が好きなもの、自分の生きる意味を知ることができないということになる。
 
それって、本当にもったいないということに気づいた。
 
人は誰もが、醜さや弱さをその内に持っていて、それを必死で隠そうとしていると思う。私がそうだったように、それがばれて傷つくことが怖いのだ。
 
だけど、人は皆、その人にしかない素晴らしさ、その人にしかない武器、天から与えられた使命を持っているはずだ。自分が傷つくことから逃げていては、せっかくのその素晴らしいことに気付かずにいることになってしまう。
 
今後も多くの人と知り合って、多くの人と話をして、多くの人に関わっていきたい。それが自分を成長させ、自分の価値や使命に気づき、幸せな人生を歩んでいくことにつながると思う。そういう人生を、残りの人生どれだけあるかわからないが、過ごしていきたいと思う。
 
 IMG_0781
 
そういうことで、こんなこともしようと思います。
 
こんな私と話をしたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、以下のメールアドレスまでご連絡ください。messengerでメッセージを頂くことでも構いません。
ランチしたり、お茶をしたり、楽しくお酒を飲んだりしませんか。
 
以前の私だったら考えられないことにちょっと踏み出してみようと思います。
 
西村健一:kennishi1967@gmail.com
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