いつまでも魅力的な人であり続けるために、楽しい人生を生きるために自分が必要だと思うこと

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いつまでも人生を楽しんでいきたい、何か世の中に貢献できる人間でいたいと思うなら、若い人たちから学ぶ姿勢を持つべきだということを最近強く思う。
 
実際、最近自分が学んでいる人は、自分よりも若い人ばかりだ。私が多くのことを学んでいる加藤さんや長倉さんだって私より年下だし、20代でもすごい人がいる。
 
金を稼いでいるとか、地位が高いとかそういうことだけではなく、精神性に優れた人たちだ。
 
自分が相手の内面を知るような接点を持てていなかったから知らなかっただけで、20代でも私が驚くほど高い精神性を帯びている若者は沢山いる。会社という閉鎖社会で変なプライドにまみれている私なんか及びもつかないほどだ。
 

会社にいるとどうしても上司と部下という関係からの話になってしまい、色々な年代の人と対等に学ぶという感覚が麻痺してしまう。年を重ねてきて、会社での地位が上がり、親という立場になり、自分が偉くなったような気がして、自分の方がものを知っているような気がして、若い人に対して何か自分が教えを説く状況になっていることが多くなっている気がする。
 
それってとんでもない勘違いだ。
 
そんな環境にいるから、変なプライドが邪魔をして、人に教えを請うのではなく、最近の新しい技術はよくわからないとか、ジェネレーションギャップがなどと言って誤魔化してしまうのだろう。それって単なる「逃げ」に過ぎないということに気づいた。
 
要は、きちんとコミュニケーションを取れば良いだけなのだ。素直に教えを請えばいいだけなのだ。必要な情報はよく知っている人(例えば自分より若い人たち)から学べば良いだけなのに、そう言った努力もせず、ジェネレーションギャップの一言で終わらせているのは相当やばい。
 
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先日、自分の子供ぐらいの年代の大学生に色々とブログのことを教えてもらっていた。教えてもらって「ありがとう!」ってなれば、どちらも嬉しい。私の方からも教えられることがきっとあるし、そうやって対等に話ができれば、きちんとしたコミュニケーションが取れれば、「ジェネレーションギャップって何ですか」ってことになるはずだ。
 
当然、彼らも敬意を持って接してくれる。それに応えてこちらも敬意を持って接する。会社から押し付けられた上下関係なんかじゃなく、人と人とのコミュニケーション。だから、私も年長者として振る舞うのではなく、友人として振る舞うことができる。自分の親子ほど年が離れていても、そうしたいという意志があれば、つまらないプライドさえ捨ててしまえば大丈夫だし、その方がどれだけ楽しいかわからない。
 
良きにつけ、悪しきにつけ、時代のコンテンツの多くは若い世代を対象にしているし、技術の進歩に一番敏感なのも若い世代だと思う。そういう意味で、一番時代の最先端をいっているのは若い世代なのだと思う。
 
今の時代の流れやこれからの流れに一番敏感なのは若い人たちだ。
 
「今の若い奴らは」
 
なんて老害の典型的なセリフを吐く前に、その人たちから学ぶべきだし、そういう若い人たちと接点を持ち、何かを吸収しようとすることが、今後自分が楽しく生きていくために必要なことなのだと思う。
 
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私自身、いくつになってもその時代を楽しくハツラツと生きていきたいと思う。定年になって悠々自適なペンションライフなんてものには魅力を感じない。ずっと仕事をしていたいし、様々な世代の人たちと交わっていたいし、人としての魅力を持ち続け、色々な人に囲まれ、世の中に貢献できる人間でありたいと思う。
 
そのために必要なことは、今の時代を生きるってことじゃないだろうか。今の時代を感じながら生きるということだと思う。過去の栄光にすがって、今の時間を否定するようなそんな老人にはなりたくないし、そうやって自己を正当化するような人間にはなりたくない。
 
若い人の中に飛び込んでいくことは勇気のいることだ。なんだこのオヤジはと言われるかもしれないという恐れもある。でも、自分の経験上、多くの人はこちらが対等に接すればきちんと対応をしてくれる、そういう優しい人たちばかりだ。
 
実際そう言われることもあるかもしれないが、それは若い人たちの問題ではなく、自分自身の問題だ。自分自身の魅力のなさだろうし、それは若い人に対してだけではなく、誰との付き合いでもそう。私も魅力のない人とは距離を置きたくなるから。
 
これからも多くのことを学び続けていきたい、それが自分が魅力的であり続けるということにつながるだろうし、楽しく生きるということにつながることだと思うから。そういう真摯な姿勢で生きていこうと思う。
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