娘が高校になってとても悪い成績を取ってきたことがあった。学校が勉強に対して結構厳しいので、それで一定期間の部活停止になったらしい。何を思ったのか反省をして、部活をやめて勉強に専念した方が良いかと、そうしようと思っていると言ってきた。
ほー、そんなことを考えるようになったかと、その点では感心をしながら、部活は絶対にやめない方が良いと言った。
娘はダンス部に入っていて、ダンスはとても楽しそうにやっているし、聞くと本当に楽しそうに話をする。一方で、勉強の成績が悪いってことは、学校の勉強を心から楽しんでやっているわけではないってことだろうと思う。
その状況で、楽しいことをやめて楽しくない勉強に集中するって、一体何の苦行だって話だと思う。そんなことをしても成績が上がるとは思えないので、部活はやめない方が良い、それよりも今楽しいことを一生懸命楽しんだ方がいいと伝えた。
東大や京大にサクッと行っちゃうような奴は、勉強していることが楽しいのだ。勉強して知識を得ることに喜びを感じる人たちなのだと思う。成績を上げる工夫に楽しみを見つけられる人種なのだろう。だから成績も上がる。まあ、全員がそうではないのかもしれないが、親から押し付けられて嫌々勉強していていける大学でもないから細かなことは抜きにしてそうだと思っている。
楽しくないことで争ったって楽しんでやっている人に勝てるわけがないから、それなら、娘にはダンスを楽しんで欲しいと思った。そうやって楽しく暮らしている中で、勉強をしようと思えば、成績を上げようと思えばやっていけばいいと思う。
面白かったのは、私の息子も同じことを言っていた。雄弁に語ったわけじゃないが、娘が部活を休んで勉強すると言ったら、「バカじゃないの」と一蹴していた。
我が息子、なかなかやるなと。
子供達に対しては、勉強しなければ、いい成績をとっていい大学に行かなければ将来が心配だと、確かに私もそんなことを思う。だけども、それは、大学を出て、サラリーマンになって会社であくせく働いている自分の本当に本当に狭い少ない経験からの思いであり、自分の子供たちをそんな枠に押し込めるようなことではダメだなと、そういうことに今更ながら気がついた。
じゃあ、どうすればいいのかって、私になんかそれほど言えることはないが、自身が学んだことからいうと、
楽しいこと自分の好きなことをやりなさい
ってこと。
私のように進むのが子供達にとって正しいことなのか、幸せなことなのかどうかはわからないが、「楽しいことをやりなさい」ってことが正しいことだけはわかってきた。だから、子供達にもそう言ってあげることにした。
誰もが、自分の心が喜ぶことをやるべきだと思う。人生を喜んで楽しく生きるために私たちは命を授かったのだと思う。
今を楽しまなくていつ楽しむのか。
誰もが将来のことは心配になるが、誰もが明日死ぬかもしれない人生を生きているということを忘れている気がする。80歳になった時のことを心配するより、明日死んでも良いように今を楽しもうよって思う。我慢をやめて今を楽しめば、少なくとも今よりちょっと楽しい人生になる。その方が良いじゃないか。
ちょっとした我慢をやめよう。買おうと思っていた洋服買っちゃおう。それが自分の心をときめかせるなら。行こうと思ったところに行っちゃおう。そこに行っている自分を想像して心がときめくなら。
あるセミナーで長倉顕太さんが言ってた。
「将来は今の積み重ねだから、今楽しくないと将来も楽しくないよ」
「金がなくなったら死ねばいいんだから」
はい、そうします。
<幼く可愛かった頃の我が娘>
今でも可愛いんだけどね。ここだけの話。