自分の存在価値って何なのか 〜 他人の目線を気にせず楽しんでみよう

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会社の飲み会でも、同窓会でも、セミナーでも、懇親会でも何でもいいのだが、そういう集まりに参加したときに自分の存在をアピールしたがる癖が自分にはあると思っている。あっちのテーブルの方が盛り上がっているような気がしたり、話題の中心にいる人を見るとなぜか焦る。
 
原因は明らかで、自分に自信がないからだ。明らかに自分の存在価値というものの意味を間違ってしまっているのだと思う。何かをしなければ存在価値がないと勘違いしてしまっていて、色々なことをして自分の存在価値を認めてもらおうとするのだと思う。そのためのアピールだ。この1年ぐらいの間に色々な学びがあって、かなりそういう気持ちは軽減したが、まだまだそういう気持ちになる時がある。
 

そうではなく、誰もがそこにいるだけで価値があるということを理解すべきだと思う。要は、無理して何もしなくて良いということだ。余計なことをせず、自分が楽しめばいいということだと思う。
 
人によっては、「私なんかがここにいていいのだろうか」なんてことを考えてしまうこともあると聞く。場合によっては、自分が嫌われているのではないだろうかとか、疎まれているのではないかとか、そういう気持ちになってしまうようなケースもあるかもしれない。それも、自分に自信がなく、自分の価値を認められてないからだと思う。自分に自信がなく自分の存在価値が認められないと、妙に明るく振る舞ってみたり、つまらなそうにしてみたり、周りを非難してみたり、自分を卑下してみたりと色々なことをして自分の存在をアピールしようとする。自分の存在価値を認めてもらおうと頑張っている人は見ていて苦しそうだ。痛々しくみえたり、傲慢に見えたり、卑しく見えたり、鬱陶しく思えたりする。きっとやっている方も苦しいに違いない。
 
<自分にフォーカスして自分が楽しむ>
 
そこにいて自分が楽しければそれで良いのだと思う。そこにいて明らかにその場を楽しんでいれば、それで十分だし、各々が楽しんでいる姿がその場の雰囲気を楽しいものにする。全員が楽しいのにつまらない場なんてありえないから。だから、人にフォーカスするのではなく、自分にフォーカスしてまず自分が楽しむことだと思う。他人を喜ばせる話ができなくても、楽しい話題ができなくても、そこにいて自分が楽しんでいるだけで十分じゃないかと思う。
 
<自分が楽しければ楽しい話ができる>
 
楽しむことができれば、自分が楽しんでいれば、その口から出る言葉はきっと楽しい言葉に違いない。自分が楽しんでいない人は人を楽しませることなどできないと思うし、苦しそうに自己アピールをしている人の話を聞いて楽しいとは感じないと思う。
 
<場の雰囲気が悪いのは自分のせいではない>
 
楽しんでいるときの言葉に対して水を差すような発言をする人がいるなら、問題があるのはそっちの方だ。その場が楽しくないのは、あなたのせいではなく、環境やそこにいる人に問題があるからだ。きっといる場所、付き合う人を間違っているのだろう。場の雰囲気が悪く自分が楽しい場でないのなら、近寄らないことであり、その場から逃げ出すのが良いと思う。
 
<自己承認を他人に求めない>
 
自己承認を他人に求めると簡単に騙されることになる。他人の軸で物事を考えていると自分は楽しめないし、自分が楽しめない場に引きずり込まれる。下手すると怪しいものに巻き込まれて怪しい商売や宗教に騙される羽目になる。
 
<自分が楽しめる場所を自分で探すこと>
 
今の時代、ソールシャルメディアなどを使えば、いくらでもコミュニティは見つけられる。自分が楽しめるところに自ら飛び込んでいく勇気さえあればいくらでも楽しい時間を過ごせる。とにかく人のことなどどうでも良いから、自分にフォーカスして、自分が全身で楽しめば良いと思う。その場が楽しいかどうかは、自分で決めることができることだと思う。
 
最近は、自分が楽しめばそれで良いと思えるようになってきた。他人の目線とか他人がどう思うかではなく、自分が楽しむ話をしようと思うようになってきた。そうした方が、本当に好きな人と楽しい時間を過ごせるのだということが分かってきたから。
 
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