我慢なんかしなくていいから楽しもう。
自分の心が楽しむことをしないと人生楽しくならないから。
自分が楽しいことってなんだろうってわからなくなってしまっている。なんとなく、会社に入って長年やってきて、改めて思うと本当に何に自分は心踊るのだろうってよくわからなくなってしまっていた。会社で評価されたり、飲み会に行って騒いだり、バラエティ番組を見たり、それも楽しいことには違いないけど、それって、自分の苦しいことを誤魔化すための刹那的な楽しみなんじゃないかと思うし、純粋に楽しんでいるというものとはかけ離れていると思う。
週末でリフレッシュとか、休暇をとってリフレッシュとか、なんか普通のことのように思っているけど、そういうリフレッシュをやりたいと思うってことは、それ以外の時、そっちの方が圧倒的に長い時間なのに、その時に苦しいくて嫌なことをやっているってことじゃないのか。
それって自分の心が楽しむことではなく、苦しいことに我慢するために、苦しいことの埋め合わせのために楽しんでいるのであって、結局は、そうやって誤魔化していることで、自分の心をより一層苦しめているのではないかとそう思う。
もう少し、日常生活を楽しく豊かにすることを考えないと。
嫌なことは嫌と言ってみよう。
嫌いなものは嫌いと言ってみよう。
やりたくないことはやりたくないと言ってみよう。
そんなことしたら、会社での評価が悪くなるとか、私もそんな風に私もずっと思っていた。評価されて出世したいって思ってたけど、人の評価を気にして何かをする、何かを我慢することは本当に意味のないことだなと思うようになってきた。どれだけ我慢して、他人の目を気にしても、そうしたところで自分の思い通りになることなどほとんどなく、やりたいことを我慢してやりたくないことをやって、結果は自分でコントロールできない。これこそが他人の軸で生きいるってことだと思う。他人の目を、他人の評価を気にしながら生きているってことだと思う。
自分の評価をする他人が本当の自分の価値を評価できているなんてことはない。その人だって全知全能の聖人君主などではなく、その辺にいるただの人なのだ。そんな他人から受けた評価で自分自身の価値を測るなんてことは馬鹿げている。その人の評価で喜んだり傷ついたりしているのではなく、自分自身がないから、自分に自信がないから、そんな評価を元に自分の自尊心を喜ばしたり傷つけたりしているだけだから。
生きる意味は楽しむことだと思う。
自分の心が楽しむことをするために生きているのだと思う。
誰もが生きているだけで素敵な存在なのだから、人のことなど気にせず、自分のやりたいことをやればいい。人からどう思われようがいい、人に迷惑をかけてもいい、人に嫌われてもいいから、好きなようにやるのが一番いいんだと思う。我慢して他人の軸での評価に一喜一憂して、それで優越感に浸って、劣等感に苛まれ、自分が楽しいと思うことすら分からなくなってしまう、そんな一時期の私のような生活になってしまう前に、自分の心の声に耳を傾けて、自分の好きなこと、自分が喜ぶことをやってみて欲しいと思う。
特に若い人たちは。