人に見せるためではなく自分のために 〜 自分を喜ばせるものに囲まれるとしあわせになる、人の目線を気にすると苦しくなる

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ファッションもそうだし、自分の持っている小物でもそう。私はカッコ良い服を着るのも好きだし、ちょっと値段の張る素敵な小物を持つのも好きだ。着るものや持っているものでちょっと人と違う工夫をしたいと思う。
 
実際そういうことは昔からしていたのだけど、以前と今とで大きく変わったことがある。それは、そうしたいと思う理由だ。
 

以前は、人からどう見られるかを意識してそういう事をしていた。かっこいいと思われたいという理由だ。自分が選んだものがかっこいいと人に思われるだろうか、こういうものを持っていたら、人との違いをアピールできるだろうか、そんな事ばかりを考えていたように思う。
 
人から褒められると嬉しいけど、いちいち、相手がどう思っているかを気にしていて、もしかしたらカッコ悪いとか思われてるんじゃないかなんてことを想像(というより妄想)して、バカみたいに一喜一憂していた。今思うとなんて恥ずかしいやつなんだと思う。それは、本当に自分の好きなもので固められていたのではなく、人からよく思われたいってことを実現するためにやっていたにすぎない。結局他人目線で自分の価値を決めていたわけ。
 
今も着るものや身の回りのものが何か大幅に変わったわけではない。でも、考えているのは、この服を着ている自分が楽しいのか、これを持っている、使っている自分が楽しいのか、そういう目線に変わってきた。そうすると、相手が私のことをどう思おうが、自分が楽しい、自分が喜んでいるんだから良いじゃないかと、そんな風に思えるようになった。多分、見ている人はあまり変わった感はないだろう。もともと好きなものを選んでいたのだから、あまり変わっていないと思うが、人の評価に一喜一憂することがなくなってきた。
 
ひとからもっと良く見られたいと思っていると、目の前にあるものが欲しくなる。これを着るともしかしたら、もっとカッコ良いと思われるかもとか、これを持っているともっとセンスのあるやつだと思われるんじゃないかとか、そんなことを考えるので、目の前のものを買いたくなる。予算はふんだんにあるわけではないから、少しでも安いものという目で見てしまう。セールにも行っていたが、最近はあまり行かなくなった。なんとなく、かえってものを買う量が減った気がする。
 
ふと気づくと、休みのたびに同じ服を着ている。それで良いんだと、その服を着ていて心地よければ、毎日同じ服でも良いじゃないかとそう思う。洗濯は必要だけどね。
 
自分の好きなもので自分を飾って、自分の好きなものに囲まれる生活。それが豊かな生活なんだろうと思う。服や小物が沢山あってもいいしなくてもいい。いっぱいお金使っても使わなくてもいい。自分のお気に入りに囲まれているかどうか、人からよく見られるためのものじゃなくて、自分を喜ばせるものに囲まれていたら、そこに幸せがあるんでじゃないかと思う。
 
<写真は、お気に入りの万年筆と愛用のカメラ>
 
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