他人に対するアドバイスで陥りがちな罠 〜 結局は自分の在り方が問われている

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誰かの相談に乗った時に、ここをこう変えた方が良いとアドバイスをする。人の言動を見ていて、こういうところを変えれば良くなるよとアドバイスをする。アドバイスの方法は、話をしたり、メッセージを送ったり、様々だと思うが、そういうアドバイスという形で相手に自分の想いを伝えようとすることは良くあることだと思う。
 
そんな時に、相手がわかってくれないからといって相手に対して不満に思ってしまうことはないだろうか。こんなに親切に言ってあげているのに何故分かってくれないのか、何故言うことを聞かないのか、何故変わらないのか、何故理解しないのか、何故理解しようとしないのかと、相手に対して不満を感じてしまうことはないだろうか。
 
そうなった時は、自分自身を良く見つめるべきだと思う。
 

こうすれなもっと良くなるのにとか、ここをこう直せばもっと素敵になるのにとか、そういうことを思い、相手にそれを伝えようとすることはとてもいいことだと思う。大切なのはそれが相手への純粋な愛から来ているかということだと思う。逆に問題なのは、自分の価値観の押し付けになっていないかということだ。相手が変わることを通じて自分が相手から何かを受け取ろうとしているようなことはないか、相手に影響を与えることで自分自身の価値感の確認をしていないかということだ。
 
私自身としても良くあることだが、そういう思いが入ってしまっている時は、相手が変わらないからと言って不満を言ったり、相手を非難したりしてしまう。初めは相手に対する愛情から出たことであっても、自分の思いが通じないことに対して相手に不満を持った瞬間におかしなことになってしまうのだと思う。
 
相手の内面が変わった結果が表面に現れるまでには時間がかかるだろうし、そもそも相手の内面が変わっているのかどうかなんて他人には判断できないはずだ。もしかしたら、相手には変わりたくない理由があるのかもしれない。だから、自分がこんなにやっているのに変わらないのはおかしいなんてことを考えるのは自分自身のエゴにしか過ぎないのだろうと、最近の経験を通じて自分自身として感じ、ついついそうなってしまう自分と向き合える素晴らしい機会があった。
 
相手にその自分の想いを伝えるすべは、自分自身の在り方でしかない。変わった方が良いと相手に一生懸命伝えようとしているにもかかわらず、それを相手に伝えることができていないのであれば、その原因を相手に求めるのではなく、自分自身の在り方がどうなのかを問うべきであろうと思う。本当に相手を想ってのことなのか、今の自分は愛に満ちているのか、相手に何かを求めていないのか、自分に足りないものは何なのか、自分の無力感から逃げていないか、そうやって自分と向き合ういい機会なのではと思う。
 
不満を抱いてしまうのであれば、
 
・それが本当に相手を想って出た言葉なのか
・本当に、自分が相手にきちんと向き合っているのか
・本当に、自分ときちんと向き合っているのか
 
そういうことを疑ってみるべきだろう。
 
どんな時でも、自分自身の在り方を示すことでしか人に影響を与えられない。
 
在り方が全てであり、そこから出た言動を相手が受け取り、相手がそれを必要だと感じれれば自然と変わっていくのだと思う。相談を受けた人、自分の身近にいる愛すべき人に良くなって欲しいと本当に心から願うのであれば、逆に相手に変化を求めるべきではない。自分自身が模範となり、あなたのような人になりたい、あなたの言うことであれば信じても良いとそう思ってもらえるような存在になれるよう、自分自身をもっと磨いていくべきだ。
 
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