何者かになるために苦しいことを頑張る必要なんてないから楽しいことをしよう 〜 あなたの存在自体が奇跡なのだから

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最近色々な人の話を聞きに行く機会を多く持っているが、話されることの中で共通していることは「頑張らなくて良い」ということだ。頑張らないとできないことは多いし、私が話を聞きに行っているような人たちは、様々な分野で実績を残されており、とても頑張っていないとは思えないから、最初は何を言っているのかわからなかった。
 
どういうことだろうと思っていたが、その人たちが必要ないというのは、
 
「他人から価値を認めてもらうための頑張り」
 
だということに対してなのだということに気づいた。そういう頑張りは要らないということだ。
 

他人と比較して自分は劣っているから頑張って良くならないと価値がない。できないと思われたくない、存在を認めて欲しい、他人から好かれたいとか、嫌われたくないから頑張る。
 
そんなのは要らないということ。
 
先日参加した加藤秀視さんのスペシャルトークライブでも、「誰もがこの世に産まれただけで奇跡だ」ということをおっしゃっていた。本当にそうだと思う。自分がこの世に存在するためにどれほど多くの命の存在が必要であったか、その数え切れない多くの命を受け継いで、今この世に生を受けている奇跡の存在であり、今そこにいるだけで、今まで生きたきただけで、それだけで掛け替えのない存在だということだ。鏡に映る自分自身が奇跡の存在なのだ。
 
そんな存在なのだから、自身の価値を認めてもらうために頑張るなんてことは必要ない。
 
「あなたにはもうすでに十分な価値があるのだ」
 
そういう人たちは教えてくれている。
 
自分なりの理解で簡単に言うと、苦しい頑張りはやめようということであり、嫌なことを我慢することはやめようということであり、楽しいこと、自分の心が魂が喜ぶことをやろうよということなのだろう。一生懸命背伸びをして大きく見せるのではなく、純粋な気持ちになって目の前のことを楽しむことが必要だと教えてもらっているのだと思う。
 
そう考えると、私がすごく頑張っていると思っていたすごい人たちは、実はすごく楽しんでいる人のなのだろう。楽しいから、他人の目線から見て苦しいと感じることも楽々と乗り越えられるのだろう。見た目には大変でも、それこそ楽しいからいくらでも「頑張れる」のだ。
 
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今の自分の価値を認め、目の前のことを楽しんでいければ、それで十分に幸せなのだろうと思う。幸せとは、何かを達成しないと得られないものではなく、他人と比較して勝っているとか劣っているとかというものでもなく、自分の目の前に「ある」のもなのだと思う。自分の身体の中に「ある」ものなのだと思う。
 
私自身、この1年で多く人から色々と学んできたと思う。以前の私は、仕事で出世をしたり、宝くじでも何でもいいが、大金が手に入れば今より幸せに成るのではと思っていた。そんな私は、この1年、仕事で出世したわけでもないし、宝くじに当たって大金を手に入れたわけでもないし、何か大きく人生が変わったわけではないが、1年前よりもずっと幸福感を感じている。毎日が楽しいと感じられる。
 
唯一変わったのは、多くの人に出会って、自分を少しオープンにする勇気を得ただけだ。将来の心配をするのではなく、今を楽しもうとしただけだ。少しだけ自分が楽しいと思うことをやろうとしただけだ。
 
何か訳のわからない得体の知れないものになろうとしなくても、そんなものにならなくてもいい。そうじゃなくて、自分がダメなやつだってことを認めて、そんな自分で良いんだ、そんな自分でも価値が有るってことを感じることだと思う。この世に生を受けたすべての人は、遠い遠い過去から紡がれてきた命を受け継いだ奇跡の結晶なのだから。
 
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加藤秀視さんのスペシャルトークライブにスタッフとして参加した時の一枚

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