人は変わることができるのか、その答えは自分の内なる世界にある

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人が変わる、人生が変わるとはどういうことなのか。
それは、純粋性を取り戻し本来の自分に戻るということだ。
 
人は生まれた時は純粋だ。すべての可能性に満ち溢れた金ピカの存在だ。なのに、これまでの人生の中で、親から教師から友人から色々な人からダメだと否定され、考えが間違っていると非難され、心を傷つけられ、もがき苦しみ、傷だらけになって光らなくなってきた。そんなことをしたら損をする、馬鹿なことをするな、他人を信じるなと言われ本来の自分を隠すために薄汚い衣を着せられた。傷ついた自分を隠すため、これ以上傷つかないために纏ったその薄汚い衣に金箔を貼ってきらびやかに見せようとしていることさえもある。
 

でも、本当の中身は今でもピカピカの純金でできてるんだってことをみんな知るべきだ。自分なんかに価値がないと思っているとしたら、それは誰かから刷り込まれたものだ。周りの無責任な他人の言動に振り回されているだけだ。
 
でも、そんなことしなくても、その衣を脱ぎ捨てることができれば、つけられた傷を少し研いであげれば、人は本来の自分、ピカピカな黄金の自分になることができる。そうすることで本来の自分を取り戻し、そうすることで自分の人生が変わって行くのだと感じることが出来る経験をこの1年間してきたと思う。
 
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私自身、子供の頃から様々な劣等感に苛まれていた。何者かになれば自分は誰からも好かれる気人間になれる、認められる人間になれると思っていた。
 
みんなに好かれるためにどうすれば良いのか。人気のある友人が妬ましかったし、どうすればああなれるのか、面白いことが言えたら、喧嘩が強かったら、派手な格好をすれは、この顔がこうなら、身長が伸びれば、お金持ちだったら、素敵な家に住んでたら、学歴があったら、一流の企業に勤めれば、会社で偉くなれば、もっとお金を稼げれば、みんなから好かれる何者かになれるのだろうと本気でそう思っていた。そして、そうなれない自分に苦しんでいたのだと思う。
 
そしてあるきっかけから気付いたことは、何のことはない、自分はもう十分なんだってことだ。みんなから好かれようと見せかけの衣に金箔を貼ることなど必要なく、それを脱ぎ捨てればいいのだ。今の自分で十分なんだってことだ。自分はすでに多くの愛に囲まれていてるのに、そこに目を向けることなく、無いことににばかり必死で目を向けていた。大切なことに盲目になっていた。一番自分の価値を分かってなかったのは自分だった。
 
今の自分は、少しずつではあるが、自分の価値を認め、汚れた衣、変に金箔を貼った衣を捨てて、本来の自分を取り戻しつつあるのだと確信している。もっともっと余計なものを脱ぎ捨て、もっともっと自分を磨き、もっともっと純粋性に触れ、本来ある黄金の輝きを取り戻そうとしていると思いたい。いや、そうに違いないと思う。
 
そう信じることで、それを知ることで、ものすごく心が軽くなった。何でも素直にものが言えるようになった。無理に飾る必要がなくなり、本当に自分に何が必要なのか、自分が好きなものが何かを思い出すきっかけを掴んだ。
 
結局は、自分の外の世界に答えがあるのではなく、すべては自分の内なる宇宙の中に答えが存在するのだ。自分の価値を認め、今のままの自分でいいと、それで大丈夫なのだと知ることができた時に、人生が変わっていくのだろうと、そんなことを感じた。
 
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