一人の親として自分の子供の幸せを願う。
どんな親でもそうだと思う。子供の幸せを願っていない親なんていないはず。
ごくたまに悲惨な事件はあるが、基本はそうだろう。
では、その自分が願う「子供の幸せ」ってなんなんだろう。自分はきちんと子供の幸せについて考えられているのだろうか。果たして、自分が思い描く子供の幸せが本当に子供にとって幸せなのだろうか。そもそも、子供の幸せというものを自分はきちんと思い描けているのだろうか。
そんなことを考えている。
「良い大学に行け」とか「良い企業に就職しろ」とか、それが子供のためだなんて思っていたけど、それは本当の子供の幸せを思い描いているのではなく、親としての世間体や子供の安全という形ばかりのもの。自分が子供たちに示していたものはその程度のものなのではないのかと思ったら、そんなもので子供たちが幸せになれるのかと疑問に思うようになった。いや、そういう考え方自体を否定するようになってきた。
ここ1年ほど多くの人と接点を持ってきて気づいたのは、世の中には多種多様な幸せの形があるという当たり前のことであり、その多くある幸せの形について、ほとんどのことを自分は知らないということだ。私が知っている世界なんて本当にちっぽけなものであり、そんな自分が子供達に「これがあなたの幸せだよ」なんて形を示すことはできないのだということに気づいた。
それでも子供たちには幸せになってほしいと思う、そんな自分が何を示せるのかというと「自分自身が楽しく幸せに生きていること」なのではないかと思った。親として示すべきものは、人生というのは楽しいものなのだということを示すことなのではないかと思った。もちろん、自分が子供たちに提供する環境というものは重要なものだとは思うが、それは次の話であって、環境だけを提供していても自分自身が楽しく幸せに生きていなければ、子供たちには何も響かないのだろうと思った。それこそが、親が見せるべき姿なのではないかと。
だから、子供の幸せを願うすべての親が考えてみないといけないこと、それは、
「自分自身は幸せですか」
ということではないだろうか。
まず考えるべきことは自分の幸せであって、子供の幸せではない。こんなことを書くと誤解されるかもしれないが、自分が幸せでない状態では自分の大切な子供たちを幸せすることなどできないと思う。
子供のことだけではなく、自分が大切な人を人を幸せにしたいと思うなら、まずは自分が満たされることが必要だと思う。自分の大切な人のために何かをすることはとても大切なことだけど、その人に何かをすることで自分を満たそうとしているならば、それはかなり危険な状況にあると思う。自分を軽視して、誰かのために何かをするのではなく、自分自身が自分自身を楽しませて、まずは自分自身が幸せになる。その結果として、自分自身から溢れ出た幸せが人を幸せにすることができる、そういうことなのではないかと思う。