自分に問われていることは、どれだけの人に愛されるかではなく、どれだけの人を愛することができるのかということだ

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私の人生の岐路になったと言っても過言ではない、パワーパーソン養成プログラム第4期の受講から約1年、今度は、第5期の受講生をサポートするアシスタントという形で研修に関わらせてもらった。
 
それから2週間、ようやく自分の気持ちも落ち着いてきたので、この2週間の出来事も踏まえ、感じたことを何回かに分けて書いていきたいと思う。
 
今回、研修中に受講生が自分と向き合っている姿をアシスタントという立場から見て、自分がこれからの人生を生きていく中で重要なことは、
 
「どれだけの人に愛されるかではなく、どれだけの人を愛することができるのか」
 
なんだと言うことを強く感じた。
 

1年前に研修を受けた時、一番向かい合わされた自分は、
 
「カッコつけて表面的なことを気にする薄っぺらい人間」
 
ということだった。
 
本当の自分をさらけ出すことに躊躇があり、多くの人に好かれるように、誰からも嫌われないように考えて生きてきていたように思う。それがこの1年でかなり改善されたと感じていたが、もっと性根を入れてそこと向き合わないければダメだなと強く感じた。まだまだそこから目を背けているなと感じた。自分が良く見られたい、自分が愛されたいということにまだまだ執着している自分を感じた。
 
受講生が研修で自分と向き合っている姿を見ていて、1年前に自分に足りなかったもの、そして今もまだ足りていないものに否応なしに向き合わされた。最後のワークを見ていて自分でも信じられないぐらい涙が溢れ出てきてどうしようもなかった。この涙とともに自分を塞いでいた何かが外れたような気持ちになれた。
 
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先週には、鈴木七沖さんによる文章の書き方のセミナーに参加したが、そこでも同じようなことに向き合わされた。どんなに上辺の綺麗な言葉を並べても、本当に相手のことを想っていなければ言葉も気持ちも相手には伝わらない。こうやってブログに文章を書いている時も、貴重な時間を割いてこのブログを読んでくれている方に一体何を与えることができるのかをしっかりと考える。そういう気持ちが自分には足りてない、そこをもっと気持ちを魂を込めてやっていかないといけないんだと思った。
 
文章を書いているとき、ややもすると自分の世界に入ってしまい、これを読んでくれている読み手がいるという感覚が薄れるときがある。意識をしていても、これを読んでくれた方に何を与えられるかではなく、これを読んだ人が自分をどう思うかということに意識がいってしまっていることもあると思う。人前でプレゼンテーションをするときは、目の前にこちらを見ている多くの目があるので、否応なしに聞き手を意識せざるをえないだけであって、人前で話をすることは苦手だが、文章なら書けると思っていたのは大きな勘違いだった。そんな当たり前で最も大切なことに気づいていなかったということだ。
 
そんなことを考えていたら、この2週間文章が書けなくなっていて、この文章もなんか苦しい自分を吐き出すように悶えながら書いている感じがしている。前回投稿からかなり時間が経ったのは、それも理由の一つだ。
 
自分の言葉が相手に伝わらないと感じることがあれば、それはコミュニケーションスキルや話し方の問題ではなく、それを伝えることで相手にとってどのような価値があるのか、または、自分から相手に向けた愛の形になっているかといった考慮が不足しているのだろう。自分が伝えようとしていることが自分勝手な価値観や感情の押し付けになっていないのか、自分を評価してもらうためであったり、自分が何かを受け取ろうとしていないかをよく考えるべきなのだろうと思う。
 
相手が自分のことをどう思うかはさほど問題ではなく、自分が相手に対して常に愛を与えることができるのかが重要であり、そういう意味で、
 
「どれだけの人に愛されるかではなく、どれだけの人を愛することができるのか」
 
こそが、これからの人生で自分が問うていくべき自分自身の在り方というものなのではないかと感じた。
 
どれだけ愛しても報われないかもしれないけど、そこで諦めるのではなく、もっと多くの愛を与え続けることができれば、気づいた時にはあなたの周りは愛で溢れているはず。私はまだまだだけど、以前に比べれば少しずつそういう在り方を実践できていると思う。
 
ありがたいことに、ふと気づいたら私の周りには愛に溢れた人で満ち溢れている。
 
だから、あなたも大丈夫。
勇気を持って自分から愛を与えていこう。
 
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