自分を信じること自分を愛することの必要性 〜 行動を制限する恐れというもの

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人の行動を制限するものは恐れだ。
 
変化に対する恐れがあるから人は安定を求める。何かにチャレンジしようと思ってもしない方が良いという理由をいっぱい探してくる。現状を変えることを恐れる。もう限界のはずなのに何とか今のままで良い理由を探そうとする。もしかしたらなんてことを考えて現状を維持しようとする。チャレンジしたら失敗するぞと誰かに言われて尻込みしてしまう。
 
恐れをなくすためには、自分を信じることが必要になる。他人の軸ではなく、他人の考えに流されるのではなく、自分自身を信じ、自分の軸で判断するということだ。他人の意見は参考にしかならないし、自分を信じられなければ行動には移せない。他人の意見に従うということは、失敗した時にそれを言い訳にできることぐらいしか理由は見当たらない。
 
自分を信じるということは、いったいどういうことなのか。
 

それは他人に置き換えてみたらよく分かる。自分が信じることができる他人とはどんな人か考えてみればわかると思う。
 
それは、自分が愛する人、自分が尊敬する人、自分が大切に思う人のことではないだろうか。それは自分のパートナーかもしれないし、子供かもしれないし、両親かもしれないし、会社の上司かもしれないし、友人かもしれないし、自分が憧れる高名な人かもしれない。
 
だから自分を信じるためには自分を認め愛することだ。理由なんかどうでもいい。自分を尊敬し、自分を大切にすることが必要なのだ。自分を慈しみ、自分を喜ばせ、自分に優しくしてあげること、それが一番重要なのだ。
 

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自分に厳しいことが美徳だと思われる節もあるが、果たしてそうなのだろうか。確かに厳しさも必要かもしれないが、それでいても、根底には愛がないとダメだと思う。自分のことを厳しくする他人を考えてみればいい。それは、恋人でも家族でも会社の上司でも友人でもなんでもいい。その人たちが常に厳しく、自分に対する愛情が感じられなければ、本当にその人たちのことを信じることができるだろうか。そんな人と付き合っていても自分の心が苦しくなってしまうしまうだけではないだろうか。
 
自分が自分に対する愛がなく、認めることができず、いつも厳しく接していたらどうなるか。そんな他人と付き合いたくないのと同じで、そんな自分と付き合っていくことができなくなる。
 
他人からは逃げることができるが、自分からは逃げることはできない。とことんまで自分を追い込む前に、無条件で、理由も何もいらないから、とにかく今の自分を認め自分を愛してあげるべきだ。
 

 それが実感として理解できると、生きるのがすごく楽になる。どんなに恥ずかしい自分であっても、どんな過去があっても、そんな自分を愛してくれる人がいるということを知ることができる。いや、もう既に十分に愛されている、既に愛される資格があるということを知ることができる。
 
完璧な人間なんてこの世にいるわけがないのに、みんな完璧にならなきゃと努力しているように思う。誰からも愛されるような完璧な人間なんていないから、失敗しない完璧な人間なんていないから、ダメな自分でも良い、完璧じゃなくても良い。それでも他人から愛されて、楽しい人生を歩めるんだよってことをみんなが知れば、世の中もっと暮らしやすくなるんじゃないかとそう思う。
 
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桜はその儚さゆえに多くに愛される

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