子供達には自分を喜ばせるそういう人生を歩んで欲しい〜そのために自分が考えること

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子供達に勉強しろとか、こうであれみたいな教訓めいたことを言うのをやめた。
 
言葉でいくらそう言ったってやるはずはない。逆に、言われたことを従順にやるような子供には育って欲しくない。子供達は、私の行動を見て育ってるのだから、自分自身が空っぽなら、子供たちも空っぽになる。子供たちを見て不満があるなら、自らを省みるべきだとそう思ったから。そんな思いもあって、一切構うのをやめた。
 
不思議なことに、そうしたら、娘の成績があがったのでびっくり。偶然かもしれないが、これ幸いとばかりに一切構うのをやめた。そうしたら、なんとなくだけど、娘とより仲良くなった気がした。
 

私としてはこれで十分だ。勉強しろと言ってギスギスするより、干渉せず仲良くしている方がいい。これは個人的な私の思いなので、何が正しいかはわからないが、今楽しい方がいいじゃないかというそういう感覚をいろいろなところで味わったし、今楽しいの積み重ねが将来の楽しさ、幸せにつながるのだと思うから、まあ、無責任かもしれないが、これでいいだろうと思っている。
 
子供たちに対して良い大学に行かないとダメとかそんなことを思ってたけど、子供たちが楽しかったらそれでいい。金持ちになることでも、社会的なステイタスを求めることでもなく、楽しく心が豊かに生きてくれればいい、そう思うようになってきた。
 
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正直なところ、一流企業と呼ばれる会社に入ってお金を稼いでもたかが知れてる。私自身、そういうことがステータスだと勘違いしていたこともあったし、平均的なサラリーマンよりも多くの年収をもらっていることで、何か優越感を抱いていたこともあったと思う。
 
気づいたのは、そんなのどうでも良いってことだった。
 
子供たちにも良い大学を出て良い会社に勤めてほしい、そんな風に思っていた。良い大学に行って、一流企業に勤めた方が、良質な人との出会いがあるだろうと思っていたが、それも幻想だった。この1年の経験で、良質な人は世の中に多くいて、その人たちと出会おうと思えばいくらでもできるのだということがわかった。一流企業なんかにいなくても大丈夫なのだ。
 
優良な企業に勤めること自体悪いことだとは思わないが、それが原因で苦しい思いをするならそんなものを子供たちに薦めるのはおかしい。親としての自己満足に過ぎないのだろうとそんなことを感じた。東京大学を出ても会社に入って馴染めず窮屈な人生を歩んでいる人もいるし、学歴などなくても、一流企業に勤めていなくても、地位があってもなくても、金があってもなくても楽しい人生を歩んでいる人、ものすごいことを成し遂げている人がいるということも知った。
 
金があるとか地位があるとかそんなものは人生にとって必ずしも必要なものではなく、必要なのは楽しい人生、人から与えられたものではなく、自分自身が楽しく生きがいを感じる人生を送っているかということであろう。
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ガンガン出世している人から見たら、出世しようと頑張っている人から見たら、そんなのは単なる負け犬の遠吠えなのかもしれないし、そう思う人もいるだろう。でも、その考えも間違っているとは思わない。それで幸せならいいのだ。そう思えるなら素晴らしいのだから。
 
人それぞれ人生があって、それが自分を喜ばせる人生であれば問題ない。でも、それが自分を苦しませているとしたら、それは本当に自分の人生なのか、他人の価値観の元で、自分がその他人の価値観に合っているということを示すために頑張っているのじゃないかとよく考えた方がいい。そうだとしたら、それは辛いだけになると思うから。
 
親の期待とか世間体とか、そういったものに影響を受けているのであれば、自分を喜ばせる人生に向かって舵を切った方が良い。私自身が今強く感じていることである。
 
今この瞬間に自分を喜ばせることができていなければ、未来は今この瞬間の積み重ねなのだから、幸せな方向に向かって歩んでいくことは難しいとそう思うから、今この瞬間を楽しんで生きていきたい。
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